旅の魅力は百聞一見そして温故知新


11. 心をひろく


相撲はモンゴルがルーツだといいます。
現在相撲界は、外人力士花盛りです。
相撲は国技であり、神聖視する者にとってはあまりうれしいことではないかもしれません。しかし、江戸時代には相撲は
むしろ見せ物として笑いを誘う大衆文化でした。

世界のさまざまな地域に相撲に似た格闘技はあります。
広い気持ちで相撲を楽しみたいものです。

凧あげなども、日本独特のものと思いがちですが、ギリシャのアテネでは謝肉祭の翌日に
歴史あるタコあげ大会があります。
父と子が一体となって、凧を空に上げて楽しんでいます。


 12. コニンブリガとコインブラは近所にある


古代ローマ時代の遺跡であるコニンブリガで貴族の館の中庭の噴水が、当時のままに様々に吹き上げるのを眼にした
のは驚きでした。もっとも50セントコインを投入口にいれた結果、電気仕掛けで往時を再現してくれたものです。

さらに驚くことはこの遺跡だけが古代ローマ時代を感じさせてくれるもので、他の多くのローマ時代の街は現在も人々
が遺跡の上に生活しています。リスボン、ポルト、エボラ、コインブラなどがあります。

水の便、そして敵からの防御を考えてローマ人はすこし離れたコインブラに街をコニンブリガから移しました。コインブラ
の丘の上には、中世の王宮があり、今はコインブラ大学として使われています。大学図書館も王の建てたもので、室内
装飾や蔵書数は大変に見事なものです。18世紀の創立時から火事を警戒して今に至るまでローソクや電気はいっさ
い使いません。従い、昼間だけ使います。
本にとって火事以外に恐いのは、本を好物にする虫です。この対策にはなんと蝙蝠が担っており、夜になると活躍して
います。

知識の泉である図書館を古人の知恵が安全に守っているのですね


 13. 46人の村民が1年に300万人の観光客と巡礼者を迎えるサンミシェル島


ケルト人は光の神ベレン、ローマ人は旅と商業の守り神マーキュリー、そして中世のキリスト教時代には大天使ミシェ
ルの在する厳かな岩山として、人々に信仰されたモンサンミシェル。

この島は、ブリタニア半島(ケルト語に属するブリトン語を話す人達の地域)の上部付け根に位置し、潮の干満の差が
激しい海の中に孤立して立っています。

岩山の高さは80米、そしてさらにその上に大天使ミシェルの像の尖塔をもつ80米のロマネスク、ゴチック様式のアベ
ー(かってベネディクト修道院)寺院が11〜15世紀にかけてつくられました。遠く30キロメートルも離れた島の石を運
び、岩山の上に綿密な計画のもとに奇跡としか思えない努力の結果、3層の土台をつくりその上に主教会がつくられま
した。

誠に神を強く意識し生きていた中世のひとびとを思うのに、最適の地といえましょう。


 14. 24時間耐久レースの街に巨大な大聖堂有り


河のほとり小高い丘の上にル・マンのゴチック様式の艶やかな巨大なサンジュリアン大聖堂が立っています。
西正面入り口から始まる身廊は、シンプルなロマネスク様式ですが、袖廊から内陣にかけての小礼拝堂には、壁をくり
抜いてステンドグラスが大きく設けてあります。ゴチック様式の一大特長であり、天井の重みを柱に流し、壁の厚みで支
えていたロマネスク様式を乗り越え、壁を自由に使えるようになりました。
聖書に登場する聖人達のエピソードを絵物語にまとめ、間近に鑑賞出来るようにこの聖堂のステンドグラスはつくられ
ています。
中世の時代、多くの人が字の読めない中でステンドグラスの絵を見て神の、御わざを称えたことでしょう。ステンドグラ
スを通って入ってくる日の光は、神の恩寵とも感じたことでしょう。

1923年に始まった、一般道を使って競うル・マン耐久レースは、F−1レースが1年かけて走る距離を、わずか24時
間で競うレースです。


 15. 知恵は太古のなかに


人類の歩んだ道のりの中では、石器時代が一番長い。

旧石器時代は紀元前8千年前まで続きました。人は獲物を求めて狩猟や食べられる草木や木の実などを採集して生
活したので、定住することはありませんでした。
紀元前6500年から紀元前3200年頃までは、新石器時代と呼ばれます。食料生産が始まり、定住して農業を主に河
の水を利用する事を始めました。さらに墓をつくり、副葬品をその中に入れました。装飾品もつくりました。土器の生産
や家畜を飼うことも始まります。
巨石遺跡が冬至や、春分、秋分など天体の動きに連動したもので墓も兼ねていたことが、解ってきました。
そして青銅や鉄を道具として使用する歴史時代が到来します。
文字を使い、盛んに土地の拡大(なわばり)をめざす猛々しい時代になりました。

19世紀後半からは、石油をエネルギーとして、またそれを加工して新製品がつくられました。私たちはその恩恵に浴し
て生活しています。
縄張り争いが生んだ戦争は、世界第一次戦争(1914−1918)を境に、それ以前とは全く異なる次元にはいりまし
た。空には戦闘機、ロケット、海には潜水艦、地上には戦車、毒ガス、化学兵器が使用されました。
西洋がギリシャ、ローマ以来信じてきた科学合理主義がもたらした産物といえましょう。
その事にいち早く気付き、危機を感じたのが芸術家でした。
魂の痛み、打ちひしがれた思いの救いを、満ち足りて、おおらかに生きていた先史時代、つまりギリシャ、ローマ時代
以前の作品に求めたのが、20世紀の芸術家達の流れといえます。

大自然の営みの中に、人が参加して謙虚に表現した洞窟壁画、文化の中継地として世界の島々に残る墓などからの
出土品(キクラデス諸島など)、アフリカやその他の地域に残る原始信仰など多々あります。

訪れる博物館の中でも、特に石器時代の展示物に関心を払ってみてはいかがでしょうか?


 16. 見えない物を観、感じないものを感じる人達


巨大な花崗岩でできたファラオの腕に魅せられた人が、彫刻家ヘンリー・ムーアです。
ロンドンの大英博物館に通い、この世の最高権力者であり、死後は神となるファラオを永遠性、絶対性を表す象徴とし
て、固い石を使い不動の姿勢で表現した古代人に賛辞を送っています。ともすれば古典ギリシャ・ローマの動きの中に
調和、バランスを保つ彫刻に魅せられる私たちに新鮮な視点を与えます。

ロシアのフォークロァー(民話)を愛し、聖書の世界を描いたシャガールは、ファンタジーな色使いで我々に夢を与えてく
れます。
南仏のニースにシャガール美術館があり、自ら設計、企画に参加し、多くの作品が作家の意図のもとに展示してありま
す。美術館の一部屋が小さな音楽堂です。舞台に向かって左側の壁に3枚のステンドグラスがあります。右側から神が
4日間をかけて生き物の為に環境づくりをした場面、中央は2日かけて生き物をつくられたエピソード、左端が7日目に
休まれたことが描かれています。
ガラスの大きさが、大中小となっており、それでもって7日間の神の創造の時間配分を示しているようです。

芸術家は、我々が見えない物を観、感じないものを感じる人達なのですね。


17. アテナイ女神からオリーブの木をプレゼントされた街アテネ


アテネの中心、憲法広場(シンタグマ)近く、キクラデス博物館とベナキ博物館があります。両方とも個人所有のコレクシ
ョンです。
20世紀に入り見つかったキクラデス(環状という意味)諸島でつくられた大理石を素材にした人物像は、芸術家達に多
大な影響を与えました。 5千年から3500年もの昔、これだけの省略しきった斬新なデザインを考えた人達はどうして
生まれたのでしょう。
地中海の海を使って、近隣あるいは遠隔地と交易、情報交換などを行える安定した社会が築かれていたのでしょう。

一方、ベナキ博物館は新石器時代から近代に至るまでのギリシャ(ヘラス)の壮大なコレクションが、19世紀の代表的
な新古典様式の屋敷の中に置かれています。エジプトのアレキサンドリア生まれのベナキ氏が綿で財を成し収集したも
のに加え、多くの寄贈もあり衣、住、美術品、装飾品など多岐にわたるものが集められています。

2004年は、オリンピックがアテネで開かれることもあり、地下鉄が増設されました。工事中に発掘された物や、発掘の
様子を地下鉄の駅の広い地下の壁や通路に展示してあります。
堂々たる文化都市の印象を与えています。


 18. 飛行場に牛やキリンが遊んでいた


かって、ネパールのポカラへ行った時、プロペラ機が着陸の為、緑の草むらへ低く翼を下げると、草を食べていた牛が
左右に散って行きました。当時は朝から夕刻まで、飛行場には見物人が大勢集まり、ただときおり離着する飛行機を
眺めていました。
この街からさほど遠くないところに、ルンビニ園があり、ブッダが生まれました。

5年ほど前、ケニアのナイロビに行きました。
自然通風の旧式バスに乗って、飛行場を離れるやいなやキリンが間近にいました。ナイロビ博物館には、数万年も前
にこのあたりの地峡にいた人々が描いた壁画があります。そしてジョイ・アダムソン女史の数十部族に及ぶ民族衣装
姿のケニア人の絵が多くあります。この人は、"野性のエルザ"の作家でもあります。

旅の魅力は、百聞は一見ですね。


 19. ふと止まると全体を観ることがある


森本哲朗さんの本に、ブッダの涅槃の地クシナガラにほど近いゴラクプールと云う鉄道駅の駅前広場の中で生活す
る、若いインド人親子の早朝から夜に至るまでの一日の動きを飽きもせず、駅構内ホテルの階上の部屋から眺めてい
た話しがあります。貧乏で仮テントで寝起きする家族ですが、そこには愛が溢れていました。

アムステルダムのダイアモンド工場のセールス課の責任者が云いました。
30年あまりデスクに座り続けているが、元気に買って行く国の人達を通して世界が見えると。最初はアメリカ人、そして
オイルダーラーの頃のアラブ人、バブルの頃の日本人、今は中国本土の成金やロシアのマフィアの人達だとか。

犬飼道子さんは、一日しかその街にいないのであれば、外には出ないでホテルの部屋で地方局のテレビを観ていると
いいます。そうするとその街の姿が見えてくるそうです。

ある冬の日の午後7時ごろ、1人でぶらっと入ったパリのサン・ラザール駅構内は、家路へと急ぐ人達で混雑していまし
た。でもクレープを屋台の前で列に並んで買い求め、列車へと向かうパリジャンもいて、生活の匂いが漂っているよう
で、私のパリに出会った思いでした。

"私の…………"の旅を心がけたいものです。


 20. 百年はたったの一秒


科学者は言います。150億年もの昔宇宙が誕生し、45億年前に地球が出来ました。そして38億年前には、生物がこ
の地球に生まれました。人の誕生はどのあたりになるのでしょう。約400万年から300万年前あたりを考えているので
しょうか?
アウストロピテクス人はアフリカの地にそのころ生まれたといいます。

人が定住して農業の再生産を主に生活するようになり、人口も増え、土器をつくり、墓をつくり、その墓の中に副葬品な
どを入れることを始めたのが、紀元前7〜8千年頃といいます。新石器時代の始まりでした。このような先史人の残した
副葬品が20世紀に入り、発掘により見つかりました。
過去500年世界をリードした、ヨーロッパ人の元気の源は古代ギリシャ、ローマ人の残した文献や彫刻、建造物にパー
フェクトな完成度を見いだし、それを称えました。青銅器、鉄器時代に当たり2500年前から1800年前ごろです。
しかし第一時世界大戦は、彼らの夢を打ち砕いてしまいました。考えもしなかった武器が使われ何千万人もの人がそ
の犠牲になりました。
その後の20世紀の芸術家は、先史人の残した副葬品に新しい未来を、夢を求めた流れが見て取れます。自然と一体
化して、むしろ自然の営みの中に人が参加して、謙虚に生きていた時代こそ人類の未来を造る者ではないかという提
案です。

地球での人類の旅は、始まったばかりです。
45億年の地球の歴史を1年としますと、定住生活を始めた1万年前が、12月31日午後11時59分になるそうです。
そして、20世紀の百年の歩みは、それ以前とは全く次元の異なる世界に足を入れてしまった思いを、誰もが持ってい
るように感じます。そして、この百年がたったの一秒にすぎないそうです。
さてホモサピエンスよ! これからどうする?




トップへ
トップへ
戻る
戻る